世界の諸々と、その中心たる私。

ちばから見た世界の話。

性的に見ることと、エロでとどまりたい私。②

前回の続きです。前回言おうとしたことをほとんど忘れていますが、別の視点から。

 

 

エロい写真を性的に消費する男性たち

前回の記事で述べたような、女の子のエロい写真を見て「興奮する」「性的だ」と感じた男性がいたとする。

彼らは、いいものを見せてもらったという感動の気持ちから「100回抜いた」などとその写真にコメントするかもしれない。というか、実際にする人がいるから問題が起こる。

「そういう性的な目で見るなんて気持ちが悪い」

投稿した本人がそう非難することもあるし、コメントを目にした他の人が擁護のためにそう言うことも少なくはないだろう。

 

だが私は、エロい写真を性的に見た上で、その性的さを評価するコメントをする行為自体を真っ向から否定する気にはなれない。

 

例えば、AVのように性的さそのものを売っているコンテンツであればそれを「性的だ」と評価することは決して間違っていないだろう。むしろ、エロ可愛い止まりで興奮材料として活用できなければその方が問題だ。

そして、インターネットに溢れるエロい写真たちは、それがキャラとしての「エロ」を求めたものなのか、性的さを追求したものなのか、非常に判断しにくいと思う。現に「裏垢女子」などと呼ばれる人々は、それが性風俗系のステマであろうと一般人であろうと、男性に対して露骨に性的なアピールをしている。興奮材料として機能することを意図した投稿も存在しているのだ。

だから、エロい写真を「性的だ」と評価する彼らを一方的に加害者扱いするのは正しくないと、私は考えている。

 

なぜ、彼らはすれ違うのか

エロいキャラクター性を身に纏いたいだけの女性。

そのエロさに性的興奮を覚え、その興奮を無遠慮に表明してしまう男性。

この二者のすれ違いが、多くの摩擦を生んでいるように思う。

人と人とが分かりあうのはとても難しいことだ。しかしそれでも、傷つかなくていい人が傷ついてしまわないよう、ここで私個人としての意見を表明したいと思う。

 

エロい写真を上げることへの覚悟

エロい写真を容易に公開し、あるいはエロい発言をすることで自分のキャラクターを作ろうとする人たちは、その行動が招きうる誤解に対して相応の覚悟をするべきなのだろう。

確かにエロいキャラクターは魅力的だ。エロさはアニメや漫画にもたくさん出てくる人気のキャラクター性だ。

しかし、そのキャラクターたちと私たちには大きな断絶がある。

私たち人間には、決してリセットできない、脆い心がある。

アニメや漫画のエロいキャラクターたちは、それを見る人々にどんなに凌辱され、性的な視線を向けられても心を壊されてしまうことはない。冷たい言い方にはなるが、もともとそれらには心がないからだ。

が、現実世界を生きる人間はそうではない。誤解され、辱めを受けて、簡単に心が壊されてしまうことだってある。キャラクターたちのように強い存在ではないのだ。

だから、エロいキャラクター性を求めるのであれば、他人からの好奇の視線や性的な言葉には負けない強い心を持つ覚悟が必要だろう。

 

性的視線の暴力性

性的興奮を躊躇なく表明してしまう人には、興奮の誘発を目的としないエロもあるかもしれないと、考えを巡らせてみてほしい。

そして何より、人格をもつ者に対して向ける性的視線が暴力的たりうることを自覚してもらいたい。

個人差のある問題で一概には言えないが、性的な体験・経験は簡単にトラウマになりうるデリケートな事項だ。それが仮に無機質な言葉であっても、暴力的なまでの影響を与えうるものだ。

不用意にエロさを押し出している側にももちろん非はある。それでも、もしも貴方が「少しでもエロい異性とみれば即オカズにする」というような節操ない人間でないのであれば、「エロくはなりたいがオカズにはされたくない」という人間の気持ちも少しだけ理解してあげてほしい。

そして、興奮したとしてもそれをぐっと心の中にとどめておく優しさを持っていてほしい。

 

エロいキャラはおいしい

エロいキャラはおいしい。

自分自身、写真は公開しないにせよ、エロい話題に頼って自分のキャラクター性を保っているところがあるため、それはとてもよく分かる。

そして、エロいキャラを押し出している人に対して、つい性的な視線を投げかけてしまう気持ちもよく分かる。「ドキッとする」では済まない衝動を覚えることはおそらく、誰にだってある。

だから私は自分がエロい発信をしたときに、陰でどう言われようとあまり気にしないようにしようと思うし、万が一表で「性的だ」という評価がされた時にどう身を振るかも考えるようにしている。これは私の小さな覚悟だ。

 

それでも、私は決してオカズにされたいわけではない。

エロくていいね、でとどまっていたい。

多くのエロい写真の向こうにいる人々も、きっと同じように考えているだろう。